年が明ければ

 

まぶりつくこと美瑛さんに会えます。

年始一番に彼女に会えるのはなんとも縁起がよい。

 

年始に会うのは二年ぶり。

美瑛さんの家から距離はあるのですが同じ山口に私の祖父母の家があり、美瑛さんの家に一泊と、祖父母の家に数日泊まります。

 

中国地方が好きです。

気候とか、食べ物とか、そこで会うひとたちも好きです。

 

下関に瓦そばという食べ物があって、それがとっても美味しくて忘れられません。

 

 

逆に大阪に他県のひとが来たときはつるとんたんという饂飩のお店に連れていきます。

饂飩の味もさながら、器が大きくてたのしいからです。

 

 

 

 

 

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 2014ねん.二人とも若い 

 

 

 

 

 

 

 

今年が少しで終わります。

 

一年を通して、なにを考えていたかというと、それはやはり父のことかなあと思います。

 

父は三月に亡くなりました。

父と私の関係はそれなりに希薄で、それでも、毎日忘れられません。

 

少しのことで思い出して、つまづいて、立ち止まってしまう。そんな日々でした。

 

物事の捉え方、自分自身の耐久性やキャパシティ、意欲、思想、哲学。

私のすべてが、父が死んだあとでつくりかえられたようでした。

 

自分らしくない自分に出会いました。

 

 

 

人と会うことにも億劫になって、一人で塞ぎこむことが増え、考えれば考えるだけ落ち込んで。

 

それがマシになるのが唯一制作をやっているときで、芸術になりきれていないかもしれないけれど、芸術が自分にあってよかったなあって心底おもいました。

 

 

で、上手くできてるなあっておもうのが

芸術の道に進む根源をつくってくれたのはきっと、父親なんですよね。

 

幼い頃、遊んでもらった覚えがほとんどないのにたまにスケッチにつれていってくれたり、絵を描けばすかさず褒めてくれたり。

母親は芸術や美術に疎いほうなので全くでしたが、私に芸術がたのしいものだと教えてくれたのは父でした。

 

それに気づいたのも死んでからというのがまた悲しいのだけれど。

 

 

 

ずっと母親にばっかり世話になってる気になってたのに、生きる指標を与えてくれたのは父だったということでした。

 

今更、生きていたら、と思うことが多いです。

 

 

 

 

 

 

精進します。

 

 

 

 

 

sora tanaka